弁当
弁当の起源は1200年前の貴族の花見!?
「便利なもの」を意味する中国語の「便當(べんとう)」が、「弁当」の語源と言われる。どこでも食べられる便利(便当)なものということらしい。
弁当は、その時代、その時代の社会情勢を反映して発展してきた。日本での弁当の起源は約1200年前に遡る。貴族が花見などの野遊びの時に食べていたランチである提重(さげじゅう)*がその始まりと言われる。
18世紀の初めには、江戸各地に大量の桜が植えられ、庶民の間にも花見が広がった。その結果、花見をしながら弁当を食べる習慣が庶民にも広がっていった。
*携帯用の弁当で、中に重箱や酒器のほか取り皿などが収められいる。
幕の内弁当は 弁当の基本型であり日本人のDNAでもある
その後、弁当の発達に非常に大きな影響を与えたのが江戸庶民による芝居見物だ。そして、芝居見物をしながら食べる弁当として考え出されたのが「幕の内弁当」。名前の由来は、芝居見物の“幕の内”(芝居の一幕が終わり、次に幕が上がるまでの間)に食べる弁当だからといわれている。
幕の内弁当は現代の弁当の基本となっている。俵型のご飯と色とりどりの料理が少しずつ楽しめるのが特徴だ。1つ1つの料理を少量ずつ弁当箱にきれいに詰め込む。
これはお節や会席料理にも通じるものだ。お節では、酒の肴になるもの、魚介類の焼き物、山の幸の煮物などを少しずつ、お重に詰めていく。会席料理では、刺身や椀物、煮物、焼き物、揚げ物、ご飯などが、少量ずつ美しい皿に盛られて、次々と提供される。
お節について詳しく知りたい方は、こちらから: “知っておきたい美しく箱におさめた2つの日本食” / “お節”
お節と会席に共通するコンセプトが、”小型化”だ。
この小さく仕上げる“小型化”は日本人の十八番だ。本物そっくりの料理や食器、人形のミニチュアなどは日本の誇るべき小型化文化の象徴だ。とにかく、何でも小さく仕上げる。しかも1つ1つに手を抜かず、時には驚ろくほどの丁寧さで、時には神経の張りつめるほどの精巧さで、それを完成させる。こうした例は数え上げればキリがない。
駅弁 ― 各地の名産品を詰め込んだ宝箱
現在のように折詰や箱に入った弁当は、明治時代に入って、姫路駅などで販売されたのがその始まりと言われる。
売り子がホーム上を歩いて販売する「立ち売り」が一般的な販売形態だった。列車の停車している間に、列車の乗客が窓から買い求めるのである。駅弁はその後、駅の売店での販売や車内のワゴンサービスでの販売に変わっていった。
駅弁の特徴は、その地域の名産品をおかずとして詰め合わせていることだ。北海道のイカめしは、イカの中にもち米を詰めて醤油とみりん等の汁で煮込んだものだ。
鱒のすしは、富山の名物。木製の曲物(わっぱ)に笹を敷き、鱒の切り身をその上に並べてから、酢飯をのせて押し寿司にする。鱒の淡いピンクと笹のみどり色のコントラストが美しい。
群馬県横川の釜めしは、陶器の器に米を入れ、鶏肉・うずらの卵・あんず・ごぼう・しいたけ・栗・竹のこなどをのせ、器ごと炊き上げる。食べ終わった器は、お土産として、そのまま持ち帰れる。
駅弁は、駅中だけでなく、その人気の高さから、デパートの催事などで頻繁に販売される。特定の地方をテーマにした物産展の目玉として販売されることもあれば、全国の有名駅弁を集めた催事で販売されることもある。こうして、全国各地の駅弁が広まることになったのである。
日本人の「かわいい」と「おもてなし」が生んだ「キャラ弁」
現代の弁当として特筆すべきはキャラ弁だ。はじめは、りんごをウサギ型にカットしたり、ウィンナーをタコに見えるように切れ込みを入れたりしたものを、弁当の中に入れていた。それが高じてアニメのキャラクターや様々な造形のものを食材で表現するキャラ弁が誕生した。
なんでも「かわいく」作ってしまうのは日本のお家芸。しかも小さく細かいものを作るのが得意なため、キャラ弁は急速に発展し、ありとあらゆるキャラ弁が毎日作られている。自慢のキャラ弁をSNSにアップすることも多い。SNSにアップした他人のキャラ弁の画像に触発されて、また新しいキャラ弁を作ってみるという具合だ。
キャラ弁には忘れてはならない、もう1つの大事な要素がある。自分の家族やパートナーが弁当箱をあけた時の驚く顔を想像しながら作ることだ。相手のことを思う気持ちで作る、それは日本の「おもてなし」の心に通底するものがあると言えるのではないだろうか。
もっと深い弁当の話
日本人のソウルフード—おにぎり
「おにぎり」— いわずと知れた日本人のソウルフードだ。「おむすび」ともいう。炊いたご飯を片手で食べられるように握ったものだが、弁当文化の一翼を担っている。理由は一目瞭然で、携帯して外出先で食べるのに便利だからだ。
いつでも、どこでも食べられる、その存在の身近さがソウルフードたるゆえんだ。おにぎりは、2000年ほど前の弥生時代には存在していたと思われる。弥生時代の遺跡から、炭化した手のひら大の米の塊が見つかっている。三角形や俵形に握る。丸く握るものもある。
おにぎりが発達したのは、戦国時代で、兵士の携帯する兵糧として食べられた。江戸時代(17世紀ごろ)には五街道が整備され、人々の往来が盛んになると、旅人の携帯食として日本中に広がったといわれる。おにぎりに海苔を巻くようになったのもこの頃といわれる。
おにぎりが、日本人のソウルフードである理由のもう1つは、日本人の大好きなお米の味を、ダイレクトに感じることができる食べ物だからだ。
表面にゴマをまぶしたり味噌を塗ったり、とろろ昆布や高菜や野沢菜漬けなどで巻いたりする。中に詰める具材も実に様々だ。伝統的な具材は、梅干し、鰹節、焼き鮭、たらこや昆布の佃煮などだ。おにぎりの表面に巻くもの、中に具材として入れるものを変えることで、その種類は無限大だ。
現代では、刻んだ漬物や魚のほぐし身や豆などを米に混ぜ込んで握ったカラフルなものなどもある。また、おにぎりを使ったキャラ弁などもある。
弁当箱にこだわる ー 杉の木の曲げわっぱ
食器や容器を杉の木の薄い板で作る工芸品に「曲げわっぱ」がある。水に漬けておいた杉板を煮沸し、柔らかくなってから、丸く整形するもので、日本の伝統技術だ。
この技術で作った曲げわっぱの弁当箱が今人気だ。保温機能などがついた最新の弁当箱が登場する一方で、木の香りとぬくもりを感じることができる曲げわっぱの弁当箱が、見直されている。木目の模様も美しい。
もちろんそれだけではない。一番の理由は、ごはんが美味しいことだ。米から出る水分を弁当箱が適度に吸収するため、ベタっとせず、冷えたごはんも美味しく食べられる。冷めてから食べることを前提につくる弁当には、最適な容器と言えるかもしれない。
お節
お節とは何か
元旦や五節句など、季節の変わり目で祝事をする日である「節日(せちにち)」に、神様にお供えする料理を「お節供(おせちく)」といい、節日の中で一番重要な正月にお供えする料理を「お節」または「お節料理」と呼ぶようになった。
現代のように三段に重ねたお重に詰めるようになったのは、明治時代になってからだと言われる。お重には、「福を重ねる」という意味がある。
お節は、五穀豊穣を司る神様に、新年の幸福を祈願するものであった為、元来、その土地で獲れた作物で作っていたが、食生活が豊かになるにつれ、現在のようなご馳走となった。
三段重の意味
三段重は上から「一の重」、「二の重」、「三の重」という。
一の重は、祝い肴や口取り(八寸)など酒の肴になるものを詰める。蒲鉾や黒豆、栗きんとん、田作り、伊達巻などが代表的な素材だ。
二の重は、鯛、鰤などの焼き物や、あわび、蛸、いくらなど縁起物の海の幸が入る。
三の重には、里芋やれんこん、くわいなど縁起物の山の幸の煮物が詰められる。
お節のそれぞれの食材には意味があった!?
お節は新しい年に幸福を祈願する料理なので、それぞれの食材には特別な意味がある。
昔は書物が巻物のような形をしていた。「伊達巻」はその形を連想させるので、学業成就を祈願して食べる。
「昆布巻き」は「よろこぶ」と語呂合わせしている。昆布を「子生」と当て字して、子宝を祈願する。
「蒲鉾」は薄桃色は「魔除け」、白色の部分は「清浄」を意味し、半円形は「初日の出」をイメージしている。
「数の子」はたくさんの卵が詰まっていることから、子孫繁栄を祈願する食べに食べる。
「海老」は姿が丸く曲がっていて、腰が曲がるまで生きるという長寿を祈願するためのものだ。
刻んだイワシを肥料として田んぼに蒔いてたことから、「田作り」は豊作を願うために食べられる。
「くわい」は大きな芽が出るので、立身出世を願い食べる。
「黒豆」は、マメ(豆)に元気に働けるようにと「無病息災」を祈願して食べる。
「里芋」は親芋の下に小芋、孫芋とたくさん芋が出来てくる様子から、「子孫繁栄」を祈願するものだ。
「れんこん」は穴がたくさん空いていて、向こう側が見えることから「将来の見通しが良い」という意味で縁起のよい食材だ。
「紅白なます」は祝袋の水引に見え、おめでたい。大根とニンジンは深く根を張ることから、食べると家族の土台を築ける考えられることから、家族円満の意味合いを持つ。
「栗きんとん」は黄金色が金塊や小判などに見えることから、金運の上昇を祈願して食べる。
祝箸 — お節を食べる特別な箸
お節を食べるには、「祝い箸」と言って、八寸(約24センチ)の箸を使う。八は末広がりと言って、縁起のよい数字だ。「両口箸」ともいい、両方の先端が細くなっている。お節のルーツが神様にお供えするお節供であることからも分るように、お節は、お供えした料理を、神様から分けてもらって食べるという考え方だ。だから一方は神様が、もう一方を人が使うために、両方が使えるようになっているというわけだ。
お屠蘇 — 無病息災を祈願する特別なお酒
お屠蘇は一年の無病長寿を願い、正月に飲む特別なお酒で、日本酒やみりんに山椒や陳皮などの薬草を漬け込んで作る。日本酒をお屠蘇代わりに飲む地域もある。元旦の朝にお節を食べる前に飲むものとされる。「一人これ飲めば一家苦しみなく、一家これ飲めば一里病なし」と唱えながら飲むのが正式な作法だ。
もっと深いお節の話
現代のお節事情1 — お節は誰が作る?
お節は元来、各家庭で作っていた。火を通したり、干したり、酢漬けにしけたり、濃いめの味付けをしたりして、日持ちするようにして重箱に詰めていた。正月の間は料理をしないようにして、お節を食べて過ごしたのである。
最近では、お節を作る家はめっきりと減った。いろいろなお節用の食材を買ってきて、お重に詰め合わせたり、お重に詰められた状態のお節を買ってくるのだ。料理屋や有名ホテルのお節を通販や百貨店で買うことも多い。
現代のお節事情2 — ワンプレートお節
お節はお重に詰めるのが基本だが、少しずつ食べていくと、だんだん見た目に綺麗でなくなってくる。こんな時、お重から自分用に取り分けて、おしゃれに盛り行けて楽しむのが「ワンプレートお節」だ。
お重を持っていない家庭が、買ってきたお節用食材を、家族個々人の皿に盛り付けて提供するワンプレートお節もある。
今では、お節の様々な食材を1種類ずつ1人前でパックしたものも売られており、一人暮らしの人が好きな種類の食材を買って、自分用に皿に盛り行けて楽しむこともある。
現代のお節事情3 — 洋風・中華風のお節
お節の中身も多様化した。ローストビーフやテリーヌを詰めた洋風なもの、チャーシューや炒め物の入った中華風のもの、その他、伝統的な和風のお節の食材に、洋風や中華風の素材を組み合わせたものなど様々なものがある。